父は大阪万博まで生きるつもりはないらしい。

父親と母親と妹と私。ほそぼそ書きます。

父は大阪万博まで生きるつもりはないらしい。 #1

2025年、大阪万博が決まりました。

 

平成生まれの私はもちろん70年の大阪万博には行ったことがありません。

ちっさい石のために人々が長蛇の列をなし、「こーんにっちは〜」の歌が流行って、ダウンタウン浜ちゃんのお父さんがどっかの建物のペンキを塗ってたくらいのイメージ。

 

でもなんか言葉がいいやん、”万国博覧会”って。

青空をバックに色鮮やかな万国旗が会場中にはためいて、近未来から来たようなポップな制服着た人がいっぱいいて、世界中のおもしろいものが一堂に会す、みたいな。

 

ぼんやりと、私は楽しみです。

今が2018年、平成最後の年の暮れなので7年後?

アラサーの自分に思いを馳せてみたり。

 

そこでタイトルの言葉。

 

いつ間にかもう余裕で年金をもらえる年で、若白髪が年相応の白髪になり、同窓会に行くと誰か友達が減ってる父親。

私と妹は、父と一緒にいると「お孫さんですか〜?」と何度も言われて育ちました。

 

たしかに私自身、(不謹慎ながら)さんざん「お父さんが死んだら」ネタでいじってきたし、父親から死ぬワードを聞いたのも初めてではありません。

 

でも今回は違う。

 

今までにない実感のこもった口調でした。

ちょうど昨年倒れてから物忘れめっちゃ増えたし。

ケガじゃ病気じゃゆうてずーっと病院行ってるし。

ほかにも大きなことから小さなことまで色々いろいろ。

ここ数年、微々たる歩幅ですが、でも確実にそちらへ歩みは進めてます。

 

そうでなくてもみんないつでも死ぬんやし。

 

あぁそうかぁ、でももうそういう局面に来たかぁ。

 

悲しいとか「そんなこと言わんといてよ!」とかではなく、おだやかーな波紋が広がるみたいに「せやんなぁ」と思いました。

 

てなわけで、万博が先か父親が先か、日常をつらつら綴っていこうと思います。

いつまで一緒に暮らせるか分からんしね、日記も兼ねて。

 

ちなみに昨晩の父は、夕飯の鰹のタタキに一人だけ山ほどにんにく入れて食べて、女三人から総スカンを食らっていました。

まだ当分はくっさい息させて生きながらえてることでしょう😌